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欧州でグローバル企業のDirectorしてました。 現在は帰国し某株式会社の代表取締役。

ジョージタウン大学 キャロル・キグリー教授 『絶望と希望』-9 セシル・ローズと円卓会議グループ、そしてミルナー幼稚園


名門ジョージタウン大学



ジョージ・ワシントンが大統領に就任した1789年に、カトリックの司教ジョン・キャロルがあらゆる宗派に開かれたカレッジとして設立。 

フランス革命の起こった同じ年の1789年。

 

 

『TRAGEDY and HOPE(絶望と希望)』(キャロル・キグリー著)の一部より引用

 

 

 

セシル・ローズは世界連邦を夢見た


ラスキンのメッセージは衝撃的だった。 

彼の就任記念講義は、一人の在学生、セシル・ローズによって手書きで記録され、彼は三〇年間それを手放さなかった。

 

 

ローズ(一八五三~一九〇二)は、南アフリカのダイヤモンドと金の鉱脈を憑かれたように探し求め、初代ケープ植民地首相を務めた(一八九〇~九六年)。 

そして、政党へ多額の献金をし、英国と南アフリカ両国の議席を支配し、喜望峰からエジプトまでアフリカを縦断した英国領土の確立に務め、この両端の地を電信で、しまいにはケープ・カイロ鉄道で結びつけた。

 

ローズは南アフリカと英国の人々の献身的な支援を組織した。 

ロスチャイルド卿やアルフレッド・ビートから資金援助された彼は、南アフリカのダイヤモンド鉱山をデビアスコンソリディテッド・マインズ社を通じて独占し、金鉱山の巨大企業コンソリディテッド・ゴールド・フィールズを設立した。

 

一八九〇年代の中頃、ローズ個人の年収は一〇〇万ポンド(約五〇〇万ドル)を下らなかったが、「得体の知れない目的のために浪費したので、口座はつねに当座借り越し状態だった」(『絶望と希望』130ページ)

 

 

 

 

ローズは世界連邦を目指す長期戦略を開始した


セシル・ローズの目的は、英語圏の人々を結集して世界中の、全居住地を彼らの支配下に置くという野望に尽きる。

このためローズは莫大な資材の一部をオックスフォードに『ローズ奨学金』を設立し、ラスキンの望み通りに、英国支配者階級の伝統を英語圏に広めようとした。

 

 

 

 

ローズは幅広い支援を受けて秘密ネットワークを組織した


オックスフォードの熱烈なラスキン崇拝者の中に、アーノルド・トインビー、アルフレッド・ミルナー(後のミルナー卿)、アーサー・グレイズブルック、ジョージ・パーキン(後のジョージ卿)、フィリップ・リトルトン・ゲル、ヘンリー・バーケナフ(後のヘンリー卿)などの盟友グループがあった。

彼らはラスキンの言葉に薫陶を受け、彼の構想を実行するために人生を捧げた。 



ケンブリッジにも同じようなグループがあり、レギナルド・ベーリオル・ブレット(イーシャー卿)、ジョン・B・シーリィ卿、アルバート・グレー(卿)、エドムンド・ギャレットなどもラスキンの言葉に薫陶を受け、いわゆる『英語圏』の着想を拡大する計画の両輪として、大英帝国の拡張と英語都市住民の意識向上に終生務めた。

彼らがめざましい成功を収めたのは、熱烈な社会改革者にして、帝国主義者である英国一過激なジャーナリストのウィリアム・T・ステッド(一八四〇~一九一二)が彼らをローズに引き合わせたからである。

 

 

この連合ができたのは、公式には一八九一年二月五日のことであり、ローズとステッドは、ローズが一六年間、夢見ていた秘密ネットワークを組織した。
            (『絶望と希望』131ページ)

                          

 



ローズの秘密ネットワークの原型


ローズがこの秘密ネットワークの指揮を執った。  

ステッド、ブレット(イーシャー卿)、ミルナーが幹部委員会のメンバーとなった。

 

アーサー・バルフォア(卿)、ハリー・ジョンソン(卿)、ロスチャイルド卿、アルバート・グレー(卿)などが『創始者グループ』の幹部メンバーに名を連ねた。

支援組織』(後にミルナー卿によって『円卓会議(ラウンドテーブル)』として組織された)として知られる外部団体もあった。

 

ブレットは当日、ミルナーは数週間後にエジプトから帰国すると、この組織に加わるように要請された。 両者とも感激して受諾した。 

こうして秘密ネットワークの中核が一八九一年三月までに出来あがった。 

 


この組織は公的なグループとして機能し続けたが、外郭団体は一九〇九~一三まで組織化されなかったことがはっきりしている。
           (『絶望と希望』131ページ)

                          

 

 

 

ローズ死後も秘密ネットワークは永遠に続く


グループは一九〇二年にローズが死んだ後も、彼の資金やアルフレッド・ビート(一八五三~一九〇六)やエイブ・ペリー(一八六四~一九四〇)といった忠実なローズ支援者の資金を使うことがっ出来た。 

こうした支援を背景に、ローズがラスキンやステッドから受け継いだ理想を広め、その実践に努めた。

 

 

一九〇二年以降、ミルナーがローズ遺産の筆頭管理人に、パーキンがローズ信託財団の理事長に就き、ゲルとバーケナフは他の同志と同じように、英国アフリカ会社の役員に就任した。

彼らの尽力によって、グレー卿、イーシャ卿、フローラ女史(後のレディ・ルガード)といったラスキンを信奉するステッドの友人たちが加わった。



一八九〇年、ここで紹介しきれない裏工作のあげく、ショーはタイムズの植民地部長に就任したが、ステッドの経営するポール・モール・ガゼータ社からも給料を貰っていた。

部長就任後一〇年間、彼女はセシル・ローズ帝国主義計画の実行に多大な役割を果たした。

 

 

ステッドが彼女をローズに引き合わせたのは一八八九年のことである。                      
          (『絶望と希望』131-132ページ)

 



 

秘密ネットワークはしだいに他国へひろまった


一八九七年から一九〇五年にかけて、南アフリカ総督兼高等弁務官としてミルナーは、オックスフォードやトインビー・ホールを中心に若者たちを集めて統治運営を手伝わせた。

彼の影響力によって若者たちは政府や国際金融の要職に就き、一九三九年ころには英国の帝国主義的外交に辣腕を振るうようになった。



南アフリカミルナーに仕えた彼らは、一九一〇年まで 『ミルナーズ・キンダーガルテンミルナーの幼稚園)』 と呼ばれていた。


一九〇九年から一九一三年にかけて彼らは英国の主だった属領や米国で、『円卓会議グループ』 という、半ば秘密結社を組織した。

この秘密結社は、いまだに八ヶ国で存続している。

 

 

彼らは私信のやりとりや頻繁な相互訪問によって、あるいは、一九一〇年に、エイブ・ベリー卿の資金で創刊された影響力のある季刊誌『ラウンド・テーブル』をつうじて連絡を絶やさなかった。

一九一九年、おもに、エイブ・ベリー卿やアスター一族(タイムズの社主)から資金を援助された彼らは 『王立国際問題研究所(チャタムハウス)』 を設立した。
            (『絶望と希望』132ページ)

 

 

 

 

(関連情報)

 

ジョージタウン大学 
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