
セント・スウィッシング通りニューコートにある NMRothschild&Sons

ロスチャイルド 組織の近代化 株式会社への変身
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そうは言っても、ロスチャイルド家には、経営に関して蓄積されたノウハウ、底力があります。
同家は1825年から26年にかけての恐慌で、100を超える銀行が倒産。
イングランド銀行も金貨不足で破産しかけたときに、ヨーロッパ中から金貨を調達して取り付け騒ぎを防ぐなど、国家をしのぐ財力で巨額の資金を政府に貸し付けました。
こうしたこともあって、ロスチャイルド父子銀行は,金貨の鋳造にかかわるようになり、金(Gold)の仲買人として、毎日、金相場を決定しています(Gold Fixing)。
またロスチャイルド父子銀行(NM Rothschild & Sons)のパートナーは代々、シティではイングランド銀行総裁に次ぐ重要ポストである英マーチャント・バンク(国際銀行)証券業協会の会長を務めるだけでなく、イングランド銀行の理事を兼任するなど、政府の金融経済政策に影響力を持っています。
こうした政府との太いパイプから誕生したのが、ロスチャイルド家の戦後有数の事業になったカナダのニューファウンドランド開発です。
1952年、チャーチル首相は資源開発で協力要請に来たニューファンドランド自治州の首相、J・スモールウッドをその当時のロスチャイルド父子銀行の頭取アントニーに紹介しました。
これが縁で開発会社ブリティッシュ・ニューファウンドランド(BRINCO)が設立されました。
BRINCOには、ロンドンのロスチャイルド父子銀行(NM Rothschild & Sons)や、パリ・ロスチャイルド家も株を持つ傘下の非鉄金属株式会社リオ・ティントが出資するなど、一族挙げての事業になりました。
その中心となって働いたのは、ロスチャイルド父子銀行のエドマンドEdmund(1916~2009)で、1973年に522万5000キロワットの発電用ダム建設が完成したのをはじめ、ウラニウムなどの地下資源開発、材木資源の利用など、何事もスケールの大きいカナダでも最大規模の総合開発に発展していきました。
もちろんこの間、ロンドン・ロスチャイルド家は従来からの傘下の企業群の経営に財政面から関り続けてきました。
それらは、化学分野でイギリス最大の多国籍企業に成長したICI)、前世紀から同家がかかわってきたダイヤモンド産業のデ・ビアス、あるいはロールス・ロイスの親会社である兵器会社ヴィッカース、紅茶のリプトンなどです。
ちなみに、日露戦争・日本海海戦でバルチック艦隊を破った大日本帝国海軍の旗艦(フラッグシップ)船である『戦艦・三笠』はこのヴィッカース製です。
石油と化学分野で世界規模のビジネスを展開するパリ・ロスチャイルド家と関係の深いロイヤル・ダッチ・シェルの本社はロンドンにあり、これにはロスチャイルド・ロンドン家側も資本参加しています。
またネイサンが創設した保険会社アライアンスはヨーロッパ経済の拡大の波に乗り、ヨーロッパ最大の総合保険会社にのしあがりつつり、多忙を極めていました。
このため、道幅が4.5mほどの狭いセント・スウィッシング通りのニューコートにある、古いロスチャイルド父子銀行(NM Rothschild & Sons)の建物は手狭になり、1960年末に取り壊され、モダンな7階建てのビルに建て替えられています。
新しいビルにはロスチャイルド父子銀行(NM Rothschild & Sons)の社名はなく、一族の結束の象徴である5本の矢を描いた長さ3mほどの盾が玄関脇に吊り下げられ、飾られています。
シティでは、束ねた5本の矢を見みせれば、誰でもロスチャイルドの会社と分かるからです。
尚、シティでは、一般にロスチャイルド父子銀行(NM Rothschild & Sons)とは呼ばれず、地名のニューコートがその代名詞となっています。
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ロスチャイルド カナダへの投資
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